「ヒットソング」の作りかた

音楽プロデューサーの牧村憲一さんが、自身が関わってきたミュージシャンとの思い出を綴っています。
主に1970年代から1980年代前半の話。
大滝詠一さん、山下達郎さん、竹内まりやさん、、、、、
私の大好きなミュージシャンが次から次へと出てきます。
自分たちの「サウンド」にとことんこだわった人たち。
才能が才能と出会った時代。
 
~ もくじ ~

まえがき
序章  一九七四年に始まる物語
第一章 音楽業界に起きていた地殻変動
第二章 巡り合うポップスの才能たち
第三章 ライブハウスがミュージシャンを育てた
第四章 一九八〇年代に花開いたもの
終章  「渋谷系」の時代へ
あとがき
主な参考文献
本書関連年表

 
~ なるほどな一文 ~

一九六〇年代から七〇年代へと向かうときというのは、才能が才能を見つけ、引き合い、互いに研磨し合い、結局はいい音楽を作ることにしか未来がないと信じ合えた、恥ずかしいくらいに明日を夢見ることができた、そういう時代だったのです。(P94)

 
 
これで、、、2007年07月13日以降(3779日)、、、
読んだ本   851冊 (1日平均0.23冊)
読んだページ 205033ページ(1日平均54ページ)

atasinti – 読書メーター
 
 
あの頃の音楽がとってもよいと感じるのは、個々のミュージシャンによる徹底した「サウンド」へのこだわりを持って作られた音楽だったからということがよくわかります。
もちろん、当時の日本は、バブル景気へと向かう好景気で、彼らのこだわりを許すことができたという好条件があったからとも言えるかもしれません。

それにしても、いつから日本の音楽は商業主義まっしぐらになってしまったのでしょうか。
「サウンド」がどうのこうのなんかどうでもよい、とにかく売れるもの、そんなものばかりに。
テレビで流れるのは大手の広告代理店に大金を払う事務所の歌ばかりに。

そんな中で、私がBABYMETALに惹かれるのは、そんな商業主義には乗らずに、そこにプロデューサーKOBAMETALさんの「サウンド」への強いこだわりが感じられるからなのかもしれないなぁ、なんて思った水曜日の夜です。
しーゆー。
 

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