プログラミング教育はいらない

コーディング(狭義のプログラミング)の教育はいらない。
プログラミング的思考(も含めた広義のプログラミング)の教育はすごくいい。
というお話。

~ もくじ ~

はじめに
1章 プログラミングとは何か?
2章 プログラマとは何者か?
3章 IT企業が求める能力とは?
4章 プログラミング教育の実際
5章 求められる能力と教育




これで、、、2007年07月13日以降(4272日)、、、
読んだ本   954冊 (1日平均0.22冊)
読んだページ 230343ページ(1日平均53ページ)

atasinti – 読書メーター


私自身、この本を読むまで、2020年開始予定の小学校でのプログラミング教育について、以下の2点において間違った認識をしておりました。
(1)プログラミング教育という名前から、てっきりコーディング技術の教育かと思っていましたが、プログラムを書けるようになることを目的とした教育ではなく、論理的思考を行えるようにすることを目的とした教育であること。
(2)プログラムという特別の教科が追加されるものと思っていましたが、そうではなく、既存の教科の中で行う教育であること。

なるほど、そういうことでしたか。私自身、小学校でコーディング技術の教育を行うことに疑問を感じていたので、納得です。
しかし、この本にも書かれていますが、現在の教員に上記(1)(2)の教育を求めるのはかなり難しそうです。
民間に委託するとなると、教育の質の高さ=金額の高さとなり、所得格差による情報格差がさらに広がる結果になる恐れがあります。

そして、(1)(2)が実現したとして、この本で書かれていた教育を施すことで、ジョブスやペイジが日本で生まれることになるのか?

答えはNOと思います。

この本では、プログラミングを上流工程と下流工程に分け、上流工程に携わる人と下流工程に携わる人の間に収入の差があるのは仕方がないことだといい、そのため、上流工程に携わる人を育てなければいけないと書いています。
この考え方がそもそも、古いのです。
この本で書かれていたプログラミングの工程は、ウォーターフォールと呼ばれる古くからあるソフトウェアの開発手法ですが、今ではアジャイルなど、ウォーターフォールとはことなる多くの開発手法が生まれています。
ウォーターフォール手法の上流工程で、ああだこうだと議論している間に、別の手法で開発しているベンチャー企業などでは100%ではないにしろ、もうある程度動作するサンプルプログラムが出来上がっているということも考えられます。

日本でまず考えなくてはいけないことは、下流工程などと呼ばれているコーディング技術について優れた能力を持っているプログラマーに対して、もっと地位と名誉と報酬が与えられるべきだということです。
病院の中において、医師と看護師がアメリカでは対等の立場でそれぞれの仕事に敬意を払って仕事をしているのに対して、日本ではいまだに、医師が偉くて看護師は下で、看護師は医師の言うことをはいはいと聞いていればいいんだという困った風潮がありますが、それと同じことが、上流工程のSEと下流工程のプログラマの間にも言えそうです。
もはやそんな世の中ではないのです。
平凡なSEが10人よってたかってああだこうだと議論しても見つからない解を、優秀なプログラマーが1人で解決することだってあるわけで、そういう人にはそれなりの地位と報酬があたえられるべきなのです。
そうでなければ、日本から次のジョブスやペイジは生まれないと思うし、イノベーションは起きないと思います。

そんなわけで、プログラミングに対する考え方が古い人が推し進めるプログラミング教育ってものに、あまり期待できないと感じるおとうさんです。
しーゆー。

コメントを残す