ゆとり教育は「総合的学習」とセットだった。
結局、ゆとり教育が失敗に終わったのは、ゆとり教育を始める数年前から、「総合的学習」を意味あるものにできる教師を育てておかねばならなかったのに、それを行わないで突入したからなのかな。
でも、それ以前に「ゆとり」の意味を履き違えていたような気がしてならないのだが。
基礎学力をつけた上でのゆとり教育で考える力云々ならともかく、基礎からゆとりにしたら考えることさえできない。
もっとも、私を含めた、詰め込み教育世代の大人たちは、結局、
「つまらん、おまえの話はつまらん!」
と一喝されてしまうような大人たち。。。
関連ニュース
寺脇研氏語る「それでも、ゆとり教育こそ最適なのだ」|『週刊ダイヤモンド』特別レポート|ダイヤモンド・オンライン
1970年代までの経済成長期には、製造業を中心とした企業が、均一な質の労働者を必要とした。命じられたままに仕事をこなす労働者を育成するには、詰め込み式で「読み、書き、計算」がきちんとできる人材教育でよかった。
しかし、今は違う。第三次産業で必要なのは、「自分の頭で考え、付加価値を創造する力」を持った人材だ。そうした人材は、詰め込み式の教育では育たない。
定職に就かなくても生きていける豊かな社会に生まれた子どもに、「将来に備えて勉強しろ」と言っても無理がある。自ら学びたくなるように仕向ける仕組みが必要だ。それは、知的欲求を育む教育、つまり、ゆとり教育だ。