〜 おとうさんの独り言 〜
2002年10月号

おとうさんが政治・経済をズバっと切る! というような内容はひとつもありませんが。。。

2002/10/28 北朝鮮拉致被害者永住帰国
北朝鮮に拉致されていた5人の方が24年ぶりに帰国されました。うれしいニ
ュースです。でも、この拉致関係の報道のあり方には、ちょこっと疑問があり
ます。公の場はともかく、なんで、四六時中追っかけまわして、家の中まで撮
影する必要があるのでしょうか。少しでも多く、プライベートの時間を持てるよ
うに配慮してあげればいいものを。。。

帰国した5人は北朝鮮には戻さず、北朝鮮に残っている家族(子ども)の帰
国を促すことになりました。北朝鮮に家族をいわば人質にとられている状況
では本人の意志など話せる状況にないこと、親兄弟の強い要望を取り入れ
た形の決定で、家族(子ども)の帰国後に、本人が北朝鮮に戻ることを希望
した場合はそれに従うとのことでした。

まだ、日朝国交正常化交渉が決裂する可能性もある今の状況では、親兄弟
の方々にとってみれば、いったん戻ったが最後、2度と日本に戻れなくなる可
能性もある訳で、北朝鮮にはもう戻さないという意志はよく理解できます。

でも、本人は複雑でしょうね。なんだかんだ言って、24年間築き上げてきた
生活基盤、地位と名誉のある生活がそこにあった訳で、40歳過ぎた今にな
って、日本で0からやり直しというのもつらいものがあるでしょう。とは言って
も、親兄弟や古い友人も大切で、せっかく再開して喜んでくれている年老いた
親を置いて、北朝鮮に出て行くこともできないでしょう。やっぱり、ほんとのと
ころは、本人以外にはわからない気がします。

北朝鮮に残っている子どもはどうでしょうか。日本人であることも伝えていな
い子どもを戻って説得したい、自分が戻らなければ子どもは納得しないだろ
うという本人の希望は無視された形になっています。テレビのニュース番組
にゲスト出演していた朝鮮関係のジャーナリスト(?)の人が、「北朝鮮の幹
部の人に、日本にいる親が呼んでいる、とでも適当なことを言ってもらって、
とにかく帰国してから説得すればいいんだ」とか言ってましたが、それじゃあ、
「拉致」じゃないですか。。。
子どもといってももう20歳前後。もう自分の将来のことを考えていることと思
います。日本は酷い国だ、敵国だ、と小さい頃から教育を受けてきて、今に
なって、おまえは日本人だ、さっさとでてけ、と言われればショックでしょうね。

自分もそうですが、日本人にしてみれば、それでも、北朝鮮にいるよりは日
本にいる方がずーっとましなはず、と誰もがおもっていると思いますが、ほん
とのところは、本人以外にはわからない。。。。

まぁ、でも、勉強があるから11月中は子どもの帰国はできない、なんていう
国ですからね。他の8人のこともあるし、とにかく信用できません。
5人とその家族を帰して拉致問題はこれで終わり!という北朝鮮の魂胆が見
え見えです。
明日から日朝国交正常化交渉が始まります。。

2002/10/15 トルシエの通訳さん
ワールドカップ2002のとき、テレビを見ていて、妻が一番印象に残ったという
人、あのトルシエの脇にいつもいて顔を近づけて話していた"通訳さん"(フロ
ーラン・ダバティさん)が、今日のジャンクスポーツに出ていました。自身も昔
サッカー選手で今は日本で雑誌の編集をしているそうです。
マスコミがいうところのリーダー像はおかしく、そんなリーダーは現在のスポ
ーツでは必要ないとか、若い選手は監督の話なんて誰も聞いてない、監督も
自身のストレス発散や気持ちの高まりのために叫んでいるだけとか、プライ
ベートの時間に中華料理屋にいるトルシエから電話がかかってきて、言葉が
通じないので注文してくれと言われたとか、自分に電話がかかってくると、話
おわってから、トルシエから「だれ?」と聞かれ、「友人です」と答えると「女の
人?」と聞かれた、とか、日本語達者で面白い話をいくつもしてくれました。ち
ょっと、イメージがかわりました。

2002/10/15 ノーベル賞ではないけれど・・
ノーベル賞ではないけれど、高校時代の友人が九州地方発明表彰とかいう
ものを受賞したそうです。

この年で、特許で受賞なんて、うらやましい限りです。

今回のノーベル賞の田中さん以外にも、最近、会社で行った発明に対しての
報奨金のことが話題にあがることがあります。自分も会社に入って、毎年毎
年特許を書き、出願依頼をして、うち10件くらいは、特許になりましたが、で
も実際に製品に適用した特許は2件だけ。それも1件は特殊な装置で10台
出ただけ、というわけで、出願時にもらうお金(いくらだったかは忘れましたが
特許のクレーム項数に応じた金額)のみ。まぁ1回のみに行くくらいはあった
かな。あと1件はそこそこ出荷された製品に適用された特許だったので、出
願から3年後に3万くらいもらえたかな。

お金のことはさておき、もう10年くらい前から、もう発明は若い人にまかせ
て、特許を出願することなんて、すっかりなくなってしまいました。。。

だから、今回の友人の受賞は、うらやましいし、すごい!
おめでと。

2002/10/13 新しいパソコン、買っちゃいました!
新しいパソコン、買っちゃいました。

今パソコンを買うとOSはWindowsXP。家でも会社でも使ったことないので、ち
ょっと苦労してしまいました。INTERNETにはすぐにつながったのに、家の中
の他のパソコンと家庭内LANを経由してのフォルダの共有がうまくいきませ
ん。Windows98マシンとWindowsMeマシン間は何の問題もないのに、新しい
WindowsXPマシンとは双方向ともうまくできません。INTERNETにはつながる
からLANの設定ではないし、というわけで、ネットワークの設定をあれやこれ
や、、これはやっぱりメーカのサポートに電話しかない、という訳でサポートの
おねえさんと電話で話しをしながらあれやこれやで2時間、やっと問題は、新
しいWindowsXPマシンの設定ではなく、Windows98マシンとWindowsMeマシン
側の設定にあることが判明。本来なら"Windowsネットワーククライアントにロ
グオン"すべきところを、起動時に毎回パスワードを聞いてくるのはめんどくさ
いので、"Windowsにログオン"の設定をしていたのが原因。Windows98マシン
とWindowsMeマシンの設定を"Microsoftネットワーククライアントにログオン"
に変えることで解決しました。Windows98とWindowsMe間ではこれでも問題な
かったけど、WindowsXPはWindowsNT系なので、Windowsネットワーククライ
アントにログオンしていないパソコンとは通信してくれないということをすっか
り忘れていました。でも、これって、普通の人にはわかんないよな。。。。

でも、富士通のサポートの人は思ってたより親切な対応でした。声もかわい
かったし。。。

2002/10/11 かべちょろ と いたち
先日、単身赴任先の金沢のアパートを出たところで、べちゃっという音が。何
かと思えば、白っぽいやもりが床にへばりついていて、頭をひょこっとあげて
きょろきょろしていました。
福岡に住んでた小学生時代には、やもりなんて、あっちこっちにいて、自分ら
は、かべちょろと呼んでいましたが、最近はどこに行ってもすっかり見なくなっ
ちゃってたので、ほんとに久しぶりで、なんとなくなつかしい気分になりまし
た。

かべちょろ同様、いたちも長いこと見てないなぁ。昔はそこらの塀の上とかを
歩いてたりしてたもんですけど。いたちといえば、大学3年のとき、間借りして
いた部屋の押し入れで物音がするので、ドアを開くと、毛布の上に、親子の
いたちが。目があったと思った瞬間、押し入れの天井がわの隙間から天井
に上がって、部屋の天井を横切って走っていきました。あの時はほんとにび
っくりしました。全部で4,5匹はいたような。さすがにその毛布は捨てて買い
なおしましたが、金のない貧乏学生には痛い出費でした。そのとき1匹だけ
逃げ送れたのがいて保護したのですが、大家さんが市に電話して聞いたとこ
ろ、いたちは益獣なので、そのまま逃がしてください、と言われました。今で
は楽しい思い出ですが、そのときは大騒ぎでした。

2002/10/10 ノーベル賞受賞の田中さん
島津製作所の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞されました。ノーベル賞
と言えば、(平和賞のようにちょっと経路の違うものは別として、)大学のえら
〜い、権威のある先生たちのものだというイメージがありますが、一メーカの
ひらの一研究者が会社で行っていた研究についても、地位も権力も財力も
関係なく、ちゃんと評価されて、表彰されるっていうところがすごいと思いまし
た。

ところで、島津製作所には、もうひとり、タナカコウイチさんがいるそうです
が、彼も彼の身内もたいへんだったかもしれませんね。。。

でも、こんな大きな賞をもらっちゃうと、当の田中耕一さんもこれから普通の
生活ができなくなって、たいへんかも。。って、よけいなお世話か。。。

2002/10/8 続・運動会はこうでないと
友人の高校生の息子さんの運動会での騎馬戦では、両軍入り乱れてってい
うのはなくて、1騎づつ中央に出ては、見合って見合って〜ってな感じでの一
騎打ちのみで、しかも倒れそうになると、まわりにいる先生方が騎手が落ち
ないようにささえてあげるという過保護ぶりだったとか。。
なんで、高校生の競技に先生がそこまで過保護にする必要がある?って感
じだけど、学校行事でけがでもされた日には、訴えてやるぅ〜、というような親
が増ちゃったからなのかなぁ。。。。
日本の将来がちょこっと心配。。。。

2002/10/5 続・続・パソコンが立ち上がらない
妻のパソコンのBIOSのバージョンを確認したところ、最新版になっていまし
た。今のところ、問題なく動いており、ちょっと一安心。。。

2002/10/5 巨大な怪獣の爪あと
普通は飛行機に乗る時にはなるべく前方の通路側の席を選んでいますが、
今日は休日に家に戻るだけなので、急いで降りる必要もないし、というわけ
で、後方の窓側の席を選んで、なんとなく、窓の外を眺めていたら、山肌に、
巨大な怪獣がひっかいた爪あとのようなものが、あっちこっちに。なんだろう
とよく見れば、それはゴルフ場。しかし、狭い日本の国土に、よくもこんなにた
くさんのゴルフ場を作ったものです。房総半島なんか、それこそ、あっちもこ
っちも爪あとだらけ。。。。


2002/10/4 雨と雷の季節
さきほどからすごい雷の連続。また、雨と雷の冬がやってくるのかなぁ。。。ま
だ、ちょっと早いだろうという感じだけど。。。
金沢というと、北陸だし、北陸というと「雪」というイメージ、それも冬には2階
から出入りするほど積もるというイメージがありましたが、まぁ、福岡や横浜
よりは確かに雪の日は多いですが、金沢では、そんなに雪は積もんない。こ
こ3年間で、大雪といえば、2001年1月の大雪くらい。あのときは、1晩で
90cmの積雪で金沢で15年ぶりということだけあって、運動場とかの全面に
1m近く積もっているところなんか、さすがに凄かったけど、普通は多くて20〜
30cmくらい。
でも、金沢の冬は、ほんとに雷が多い。字は雪と似てるけどね。そして、これ
が会社のビルによく落ちるんだ。その瞬間に電源が瞬断することもよくあっ
て、従って、金沢の事務所では、パソコン類の電源には必ずUPSをつないで
おかないと悲惨なことになります。
石川県は日本一雷の多い県だと聞いたこともありますが、ほんとに、冬は毎
日毎日、ピカッ、ゴロゴロ、ピカッ、ゴロゴロ、、、

2002/10/3 空港の保安検査
国内線の空港の保安検査。空港毎に異なるのは昔からで、羽田にくらべて
地方は甘くて、こんなんでいいのかなぁと思ってたけど、最近、同じ羽田空港
でも、北と南で違うのはなぜ?
ANA/SKYMARKの方では、鞄の中のパソコンを出して下さい、と言われて、
えぇーって感じだけど、JAL/JASの方では、パソコンは鞄の中に入れてまま
でOK。もち、地方の空港でも、パソコン出してって言われたことはない。

昔、もっと厳しかったときには、羽田で、パソコン出して、しかも電源をいれて
ください、と言われた頃がありましたね。あの頃、会社でぎりぎりまで打合せと
かに出ていて、ぎりぎりの時間に空港について、そんな時に限って、パソコン
の他に、NTT向けの機器のパッケージとかを持ち込むこともあって、電源入
れてくださいと言われても、いえ、これはNTTの装置に挿入しないと電源入ん
ないんですよ、とか、そのパッケージを装置に挿入したり抜去するときに使う
工具を、これなんですか、と問われて説明している間に飛行機が飛び立つ時
間になり、無線機持ったおねえちゃんと空港内を走って行き、飛行機に乗っ
たとたんに飛行機のドアが閉まって走り出し、席に向かうときに座っている人
たちからは、こいつのおかげで出発が遅れたのか、てな感じで見られて、っ
てなことが何回もありましたっけ。。。
まぁ、海外の空港に比べればまだまだ甘いのかもしれませんが、、

話はかわって、小松空港は自衛隊と民間機が同居。滑走路へ向かって走り
出した飛行機が途中で止まって、中々飛び立たないなぁと思っていたら、すご
い爆音とともに、窓の外に、数機の自衛隊機が次々と飛び立って行きまし
た。やっぱり、民間機より、自衛隊機が優先なんですね。

2002/10/1 台風の思い出
関東に上陸する台風としては戦後最大級という台風が迫っています。うちの
会社では京浜地区の事業所は午後3時に帰宅命令が出てましたが、妻の職
場はそんなこともないだろうから、保育園に娘を迎えに行って帰る頃にはもう
結構な雨風だったのではとちょっと心配していましたが、横浜の自宅の方に
電話したところ、帰りにちょっと濡れたくらいですんだということでちょっと安心
しました。。金沢の方は雨は降っていますが、風はちょっと強いかなぁという
程度です。一昨日帷子川にまた現れたというたまちゃんは大丈夫でしょう
か。

子供の頃は台風といえば、妙に嬉しくて、外でずぶ濡れになりながらも喜ん
でいたことがありましたが、台風については、2つ、思い出があります。

1つは大学2年のとき。3階建ての古いアパートの2階に住んでいたのです
が、北九州を台風が直撃した夜、なんと、そのアパートの3階の屋根が吹っ
飛んだそうです。3階の住人は大騒ぎだったようですが、そのアパートはもと
もと2階建てのところを3階を建て増したものだったので、2階に住んでいた
自分の部屋には水漏れもなく、自分は部屋にいながら、まったく気が付きま
せんでした。結局、その他欠陥構造も発覚し、そのアパートは建て直すことに
なり、引っ越さねばならなかったのですが。。。

もうひとつは、大学3年の時。各企業の工場見学で東京に出てきたときの最
終日の自由行動の日に台風が直撃。その日は1日、東京で遊んで夜には逗
子の友人宅に泊る予定で、せっかく東京まで来ているのだからと、暴風雨の
中を原宿や、神田の古本屋街をまわったのですが、神田に着いたとたんに、
地上を走っている全ての鉄道が運休するという事態に。地下鉄も一部地上
に出ている線は止まっており、なんとか走っている地下鉄を乗り継いで、地下
道を歩いて東京駅まで行きました。地下道を歩いているとき、濡れているの
は自分たちだけで他の人たちは全然濡れていないのが、ちょっとはずかしか
ったですが、東京駅に着くと、その日朝から福岡に新幹線で帰る予定の友人
たちが、まだ東京駅で復旧を待っていました。夜になってようやく動き出した
超満員の横須賀線で逗子まで向かいましたが、友人宅に着いたのは夜12
時をまわってました。次の日は台風一過の青空。鎌倉など一回りして帰った
のですが、帰りの電車の窓から、丘の上の屋根がなくなった家が見えまし
た。

2002/10/1 運動会はこうでないと
日曜日に息子の小学校の運動会がありました。最近は"競争をしない"運動
会の小学校とかがあるということですが、息子が通っている小学校では、徒
競走も騎馬戦も健在です。
徒競走は、本番の前に、体育の時間に予選があって、本番では、早い人は
早い人どうし、遅い人は遅い人どうし、走ります。従って最後の組なんか、ほ
とんどリレーの選手ばかりの競争で、迫力あります。
また、5,6年生の騎馬戦は、上に乗ってる子の帽子を取り合うというもので
したが、2ステージあり、第1ステージは、総力戦で一定時間後残った騎馬で
今度は1騎づつ勝ち抜き戦を行うと言うもので、これが結構盛り上がります。
この第1ステージは男女別。
第2ステージは大将戦で、大将の兜と取られたら負けというもので、それぞれ
布陣をたてて戦うものでした。この第2ステージは男の騎馬と女の騎馬入り
乱れての戦いです。赤組と白組でちょっと力の差があり、赤組の騎馬が次々
と倒される中、赤組の大将だけはすごく馬も安定していて、上に乗っている子
も動きが速く、5,6騎に囲まれながら、そのすべての帽子を取って回ったと
きには会場中が、うおーっと叫びました。
最後には負けてしまいましたが、あの赤組の大将騎馬はその日のヒーロー
でした。
やっぱり、運動会はこうでないと。競争しない運動会だと、運動会の日だけが
ヒローになれるという子の唯一の活躍の場を奪っているのでは。
たとえ、ヒーローになれなくとも、こうした競争の中でくやしい思いをした体験
もその積み重ねが子供には大事なことのように思います。
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