「笑っていいとも!」の終了後、数多く出されたタモリ本の1冊。
終戦の年に生まれたタモリの一生と戦後の日本を重ね合わせてみようと言うもの。
最初はキワモノであったタモリがいかにして日本のお昼の顔になったのかが、なんとな~くわかります。
しかし、この本はタモリの周りの人がタモリについて語ったものを寄せ集めてまとめたものであって、タモリ本人に直接話を聞いたわけではないので、結局、なんとな~くで終わってしまいます。
~ もくじ ~
はじめに
序 章 ”偽郷”としての満州
第一章 坂とラジオ、そしてジャズ - 祖父母に育てられて
第二章 大学紛争とダンモ研狂想曲 - 森田一義から「タモリ」へ
第三章 空白の七年間 - ビウリングブームのなかで
第四章 ニッポン最後の居候 - タモリ出現
第五章 テレビ界「お笑い」革命 - 芸能人と文化人のあいだで
第六章 ”変節”と”不変” - フィジテレビの絶頂と『笑っていいとも!』
第七章 「リスペクト・フォー・タモリ」ブーム - テレビは終わらない
終 章 タモリとニッポンの”老後”
おわりに
参考文献
~ なるほどな一文 ~ (リンクはInBookの該当セリフのページ)
《バーは大人の飲むところなんですよね。それがもう、酒飲みの素人が入りこんで、また、バーの素人が、カラオケさえやっておけば客は喜ぶもんだと思ってる。あんなもの、いい気持ちになっているのはマイク握ってる当人だけで、聞いてる方は、いくらうまくたっておもしろくとも何ともない》(『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)(P153)
~ もう一つなるほどな一文 ~ (リンクはInBookの該当セリフのページ)
タモリにとって観察眼は、面白みのないものを面白くする武器といえる。《タモリの出現はギャグの事件であったというばかりでなく、思想的事件だった》とは、平岡正明の『タモリだよ!』の一文だが、タモリが戦後ニッポンの思想史上にその名を刻むとするなら、やはりその観察眼であり、過剰な意味づけを拒むその姿勢によってであろう。(P338)
これで、、、2007年07月13日以降(2974日)、、、
読んだ本 661冊 (1日平均0.22冊)
読んだページ 156422ページ(1日平均52ページ)