ビッグデータの支配とプライバシー危機

ビッグデータの支配とプライバシー危機 (集英社新書)
宮下 紘
集英社 (2017-03-17)
売り上げランキング: 31,566

プライバシーを守らないと行けないのはなぜか、アメリカとヨーロッパとそして日本と、それぞれ思想的な違いから根本にあるものが違うので、アメリカは自由のため、ヨーロッパは尊厳のため、そして日本は尊重のため、だからその理由も異なるし、守らなければいけないものも異なっています。
これを読んで、つくづくTPPが頓挫してよかったと思いました。プライバシーに関しても、アメリカの思想を押しつけられるところでした。

今、あなたが買い物でレジに渡したポイントカードの情報が、インターネットでクリックした商品の情報が、そんな日常のこまごまとした情報が続々と集められ、そして膨大なデータをプロファイリングすることで、あなたが知らないところで「あなた」というものが形づけられてしまう恐れがあります。
さらにIoT(Internet of Things、モノのインターネット)ですべての「物」がインターネットに繋がろうとしています。そうすると、さらにあなたの行動の一つ一つがすべてインターネットに集まっていきます。
インターネットの広告はすでにターゲッティング広告、つまりその人の過去のインターネット上の行動からその人が興味があると思われるものを表示するようになっていますが、そのうち、広告表示に限らず、あなたの行動そのものをビッグデータのプロファイリング結果が支配するような世界、つまり自分でも気がつかないうちにビッグデータから出た結果に促されて行動してしまうような世界になってしまうのかもしれません。
((((;゚Д゚))
 
~ もくじ ~

序 章 スノーデンの警鐘
第一章 デジタル化の専制
第二章 ビッグデータの覇権とプライバシーの反逆
第三章 プライバシーをめぐるアメリカとヨーロッパの衝突
第四章 日本のプライバシー保護を考える
終 章 自由、尊厳、そして尊重
あとがき
付録① 日本国憲法(第一三条)
付録② 個人情報の保護に関する法律

~ なるほどな一文 ~

日本の個人情報保護法制は、消費者などの権利利益の保護というよりも、むしろ事業者などの取り締まり法規としての性格が強くなっています。本来、「権利の章典」であるはずの個人情報保護法制が、「義務の章典」となってしまっています。(P176)

~ もう一つなるほどな一文 ~

この「ネットワーク化された自我を造形する権利」の行く末に関しては、悲観的な見方と楽観的な見方があります。この権利の展望が悲観的な理由は、「もはやビッグデータの時代には、独りにしておいてもらうことはできず、またあらゆる個人情報を自身でコントロールもできない」という前提に立っているからです。一方、この権利を楽観的に見る理由は、「これまで蓄積されたプライバシー権の議論の延長線上において、常にネットワーク化されつながれた状態にあっても、自我を形成する主役はコンピューターではなく、生身の人間である」という前提に立っているからです。(P201)

 
 
これで、、、2007年07月13日以降(3565日)、、、
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atasinti – 読書メーター
 
 
個人情報保護で学校の連絡網さえ作れなくなってしまうという過剰反応が起きてしまうのは、何のために何を守らなくてはいけないのかをきちんと説明しない政府がいけないのか?
いや、そもそも政府もわかっていないで法律をつくっているんじゃなかろうか?
こんなことで、IoTの世界にうまく適応した法制はつくれるのだろうか?
不安が膨れ上がっていく・・・
いやいや、そもそもやみくもに不安がるのが過剰反応の元なのだ、、、
しーゆー。
 

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